客観的には、整っている
筋肉量は増え、体脂肪は落ちました。
間食は減り、甘いお菓子やジャンクフードを欲しいと思うことも少なくなった。
寝起きも軽くなり、入眠もスムーズになりました。
数字にも、体感にも、変化は出ている。
以前の自分と比べれば、明らかに前進しています。
それでも焦る理由
けれど、数字が横ばいになると焦る自分がいました。
旅行に行けばリズムが崩れ、体調を崩せば習慣が途切れる。
生理前後で体が重くなる。
少し運動を休むと、たるみが気になる。
整っているはずなのに、安心できない。
そこにあったのは、理想の体型を知っているのに、どこかで先延ばしにしている感覚でした。
鏡に映るウエストのラインや背中の厚みが、思い描いているシルエットとは明らかに違うと感じる。
数字は整っているのに、その差だけが強く目に入る。
若い頃と比べてしまう瞬間もあります。
老化や体力の低下は、どれくらい努力すれば取り戻せるのだろうか、と。
できている人が世の中にいるからこそ、諦めきれない。
でも、永遠に“途中”にいるような気もする。
整えるだけでは越えられないもの
私は、整えれば不安もなくなると思っていました。
体が変われば、自信も追いついてくると。
けれど実際は、整えることと、満たされることは別でした。
できている部分よりも、できていない部分に目がいく。
基準を上げれば上げるほど、未達の居心地の悪さが残る。
整えることは、状態を整えること。
でも、老いへの不安や理想との距離までは、自動的には埋まらない。
まだ言葉にしきれないもの
今振り返ると、あの違和感は「不足」ではなく、
理想を持っていることの裏返しだったのかもしれません。
けれどその理想を、
一人で抱え込み、
一人で管理し、
一人で到達しようとしていた。
整えても、なお残る違和感。
それは体の問題というより、向き合い方の問題だったのかもしれません。
